大同窓会の幹事を行う本当の意味

大同窓会の幹事を行う本当の意味

 

みなさん、10月7日の大同窓会は本当にお疲れ様でした。

おかげさまで、明善大同窓会史上、最大の参加者数(1,213名)と幹事年のスタッフ参加数(182名)となり、大成功の同窓会となったことは、とても喜ばしく、かつ誇りに思っているところです。

清水広報委員長から『最後のブログを書いて欲しい』と要望がありましたので、(最後が私でいいのかとの思いもありますが)これまでの活動の振り返りと私の感想を書かせていただきたいと思います。(長くなりますので、興味がある方だけお付き合いください)

 

 

1.これまでの経緯

【 きっかけ 】

『あんた達、本当に大丈夫と?』

その言葉を市役所の先輩から言われたのは、今から3年前の夏頃でした。

言葉の意味は、10月に行われる大同窓会のチケットを57年卒に預託をしたが、まったく売れていなくて「このままチケットを返すのであれば、自分たちも3年後は知らない(買わない)けど、本当にそれでいいの?」という思いからの発言でした。

その時の状況としては、幹事年である54会から、57卒の理事である「浅川君」にチケットの預託(後で知ったのですが3年前は50枚のノルマ)があり、浅川君は自身の友達などを中心に、フェイスブックやメールなどで呼びかけを行っていたと思いますが、いかんせん個人レベルでの連絡網や呼びかけでは限界があり、このような状況になっていたものと推察できます。

その頃の自分を振り返ると、明善卒業後に大同窓会に出席したことはもちろん、クラスの同窓会にも一度も出席したことは無く(あっていたのかも知りません)、大同窓会の幹事年が近づいているのは薄々感じていましたが、「とにかく関わらないように(スルー)しよう」とだけ思っていました。

そんな時、同じ市役所に勤める「秦くん」から『(同じクラスだった)浅川君達(学年幹事)だけにまかせて知らないふりをしていたら、これから大変なことになるかもしれんね』と相談をうけ、「とりあえずチケットを買って、大同窓会に行ってみよう」ということにしました。

 

【 始動 】

平成26年10月に初めて大同窓会に出席し、千人にも達するその規模や幹事年次の活躍を目の当たりにするとともに、参加していた先輩方から幹事年次の大変さなどを聞き、「とても学年幹事の数名で対応できるレベルではない。早く同級生にこの状況を伝え、組織を立ち上げなければ!」とその時参加していた同級生わずか20名と居酒屋「古賀久」で熱く話しあったことは今でも鮮明に憶えています。

それから、まずは「学年同窓会」を開催しようということにしましたが、ほとんどの連絡先が分からない、各クラスの代表(連絡員)も決まっていない中で、地道に連絡先の掘り起こしを行い、平成27年1月3日に高校卒業後、初の「学年同窓会」を開催しました。(出席者74名)

学年同窓会では、この活動への理解をお願いし、その後、徐々に賛同者が増えていき、数回の幹事会(非公式)を経て、平成27年10月に「第48回大同窓会」(43名参加)、平成28年1月2日に「第2回学年同窓会」(59名参加)の開催と、57年卒のみんなで集まり気持ちを一つにする機会が増えていきました。

そして、平成28年1月23日には、ついに「第1回実行委員会」を開催することとなり、組織としてこの活動が始動していくこととなりました。

 

【 実行委員会 】

実行委員会を立ち上げる上で、正・副の実行委員長、事務局長、事務局次長などの活動の中心となる人選を行わなければなりませんが、特に「実行委員長」と「事務局長」を誰がなるのか(なってもらえるのか)が大きな課題でした。

当然のことながら、誰も手を挙げるはずも無く、ずっと決まらない状況が続いていましたが、今川(井上)邦子さんの強烈な熱意(魅力?)に押され、畠舎君が実行委員長をやってくれることとなりました。(前回のブログ参照)

そして「事務局長」については、私や秦君、理事の浅川君らが1年以上前からこの活動を中心的に行ってきたものの、その大変さは十分に分かっているとともに、「何で自分がこんな大変な役割を受ける必要があるのか」との思いも残っていたため、『私がやります』とは言い出せずにいました。

そうして第1回の実行委員会が近づく中、私の40年来の親友である「秦君」から『シブヤン、自分もしっかりフォローするけん、事務局長をやってくれん?いっしょに頑張ろう』という言葉をかけられ、ようやく腹をくくることができたものです。

その後は、これまで16回にわたる実行委員会を開催しましたが、回を重ねるごとに各役員の意識や熱意が高まり、それぞれの持ち場で多く同級生がすばらしい仕事をしてくれたのは、「さすが明善生」と改めて思い知らされたところです。

  その一人ひとりの活躍を紹介したいところですが、前回、畠舎委員長からも紹介があり、役員の人たちは十分に理解されていることなので、ここでは割愛させていただきます。

このように、大同窓会までの3年間にわたる道のりは、本当に多くの人たちの熱意と尽力により進められたものですが、このようなすばらしい結果が出たことについて、本当に安堵と喜びの気持ちで一杯です。

 

 

2.自慢のポイント(活動でのこだわり)

今回の大同窓会で例年以上にこだわった「自慢のポイント」についてご紹介します。

 

【アトラクション】

・「アトラクション」の演目は、当初より大同窓会での一番のポイントでしたが、「弦楽合奏」の岡(河北)千秋さん、「和太鼓」の稲吉勝文くん、「フラメンコ」の島さゆりさんなど同級生に出演、素晴らしい演目を披露してもらうとともに、第50回の格式を演出するために乾杯前に「能楽」(楠川(山口)佳子さんの弟さん出演)を行ったことは画期的な取り組みでした。

・特に、西原事業委員長の「フラメンコ」への思いは熱く、スケジュールの調整が困難とされていた島さんの出演を強引に調整した上で、「57会の女性達が会場中で踊る」という演出で見事に会場の一体感を生み出したことは素晴らしい試みでした。

 

【 記念品 】

・ものづくり班の江上潤くんの活躍はめざましく、明善高校の現役生を登用したデザイン作りは見事にはまっていました。その実行力や熱意は、57会を超えて市役所の関係課、58会の役員など多くの人たちに知られる有名人になっていました。

・ものづくり班の役目としては、他の委員会で使用する物品などのデザインや作成もあるため、過去の年次ではその役割分担でもめることも多かったと聞きますが、57会では江上君が積極的に受けてもらったためスムーズな運営ができました。(実行委員会毎に中間市から泊まりで参加してもらい本当に感謝です。)

 

【 広報 】

・みなさんもご存知のとおり、今回の成功の大きな要因である「WEBページの開設」、「ニュースレターの配信」など、情報周知ツールの充実ぶりは過去最高ではなかったと思います。

・これまでもWEBページを作られている年次はありましたが、ほとんどが大きなイベント後などの数ヶ月に一度の更新であり、今回のような実行委員会毎の資料・議事録やイベント情報、懇親会の写真のアップなど最新かつ詳細な情報発信は、57卒業生への意識喚起に多大な効果をもたらしたのは言うまでもありません。

・特にそれを行った我らが生徒会長「清水孝樹君」の能力には驚くばかりで(今回のページ開設も初めての経験で、覚えながらやっていたとのこと)、文系から医者になった経歴や、こちらがメールを返しても長文の返事が深夜や早朝を問わず直ぐに返ってくることには感心していました。(ただ、個人的には『澁田さん議事録まだですか』など記事の要求が(今回のブログ記事も含めて)、結構プレッシャーになっていましたが・・・(笑))

 

【 全体事務局 】

・今回の全体事務局は、私や秦君を含めて「久留米市職員」7名全員で構成しました。これは実は異例なことで、久留米市役所の職員は過去の年次では最大でも数名程度が関わる程度だったそうですが、57会では全員が事務局に参加するとともに、各委員会、各班の活動に関わることで、全体としての情報共有や、委員会間の調整に大きな役割をはたしていました。

・実行委員会の開催前には毎回、事務局会議を開き、実行委員会が紛糾することが無いように方針の決定や事前調整を行ったおかげで、委員会では毎回、もめることなく、ほぼ時間通りに決定して終わることができたのは、(手前味噌にはなりますが)先輩方から実行委員会活動でのポイントとして繰り返し言われていた「仲良く」の部分に大きな貢献が出来ていたのではないかと思っています。

  結果、入所した年次も違い関係も薄かった市職員間の繋がりが今回深まったことは有り難いことであり、本当に他の6名の久留米市職員の尽力に感謝します。

 

 

3.幹事を行う本当の意味

【 個人的な思い 】

今回の活動を始めるにあたり、個人的に思いをもってやったことは、「まずは、自分自身が誰よりも汗をかこう」ということでした。

誰もやりたがらない役員としての仕事を、組織として参加してくれることを多くの人にお願いするためには、お願いする人が「(損得の感情抜きに)頑張っている姿をちゃんと見せる」ことが何よりも重要と考えたからで、その点は秦君と一緒にこだわりをもってやっていた点でした。

その成果かどうかは分かりませんが、徐々に賛同する人が増えて、実行委員会の組織がまとまっていったのは、「やってきたことには意味があった」との安堵の気持ちと充実感を感じていました。

そういいながらも、この3年間は毎年職場が替わり、初めての仕事をこなしながらその合間をぬって実行委員会の活動をするのは大変な部分もありましたが、先日、江上潤君から『澁田君が頑張っている姿を見たから自分も参加した。そうじゃなかったら実行委員会には入らなかった』と聞いた際には、胸が熱くなりました。

同じ思いは、役員として頑張り、クラスをまとめてきた皆さんも感じていることだと思いますし、特に独特の雰囲気のある男子クラスをまとめてきた「下村君」、「高着君」、何よりも女子クラスである10組、11組をまとめ上げた「後藤さん」の苦労や頑張りには感謝の気持ちしかありません。

 

【 幹事を行う本当の意味 】

(裏引継ぎ式でも話しましたが)この活動を始める際に、大同窓会の実施に関して『なんでこんな年齢になって、こんなに大がかりなことをやらんといかんと』とか、『アトラクションや記念品も最小限にして、あとはホテルに全部まかせればいいやん』という言葉を多く耳にしたし、自分自身もそう感じている部分もありました。

2年前の裏引継ぎ式で、『実行委員会活動で嬉しかったことは?』との質問に、『「今年は良かったよ」と役員や先輩から言われたことが何よりの褒美だった』と当時の事務局長が答えられているのを聞いて「それだけのために自分たちはこんな大変なことをやっているのか」と多少ショックを受けた記憶がありますが、それ以外にもっと大きな意味(褒美)があることが、大同窓会を終えてやっと分かった気がします。

みなさんもうご理解のとおり、この活動を通じての本当の褒美は「同級生としてのつながりが復活する」することであり、そのつながりは「高校生の時以上で、かつ一生続くこと」ではないかと思います。

大同窓会の幹事として活動をするためには、同級生全体で一丸となった準備が必要なため、徹底して同級生の連絡先を調べ、いつでも連絡できる「連絡網が復活したこと」がまずは何よりも大きな成果(財産)で、「(当日に集まって酒を飲むだけの)学年同窓会」を開くだけでは、とてもこの連絡網は整備できなかったと思います。

また、50歳を超えて、皆さん職場や地域でそれなりの立場となる中で、学生や若手の頃のような地道な話し合いと作業を長い期間をかけ「一緒に汗をかく」この経験は、昔の感覚(感情)を思い出すとともに、強い一体感や仲間意識が再び芽生えることにつながったものと感じます。

これは、体育祭の感覚に近いもので、前述したように大同窓会の幹事の活動をいいかげんにやったとしたら、感じることができない感情ではなかったでしょうか。

子どもも親から離れ、「これからどのように老後をすごそうか」と思い始めるこの年齢で、このような昔のつながりを復活できる機会(大同窓会の幹事)を用意することが、明善高校の先輩方の知恵であるなら本当にすごいことだと感心します。

 

 

4.最後に

以上、この活動に関わってくれた多くの皆さんに感謝の気持ちを示すにはまだ足りませんが、本当に長い文章になってしまいましたので、ここで終わりにしたいと思います。

今回の活動では、部活とパチンコしかしていなかった高校時代の私が、当時、話も出来なかった多くの人たちと関わりを持ち、昔からの友達のように一緒に酒を酌みかわす仲間になれたことは本当に大きな財産となりました。

これからは、この復活した57会のつながりを、途切れさすことなく、一生の財産として大切にしていくことが何よりも大切なことだと思っています。

学年同窓会での集まりのほか、演劇や旅行、ゴルフ(既に「邦子杯」を始めています)など、クラスを超えて色々なつながりで積極的にみなさん連絡をとりあってもらえばと思います。

私も皆さんとは(迷惑かもしれませんが)生涯のお付き合いをしていただければと強く思っております。

 

『それではみなさん、これからもよろピクお願いします!』

 

第50回明善大同窓会実行委員会  

事務局長  澁田 克也